松本市歴史の里
2018年10月24日、松本市歴史の里を訪れました。
川浦から移築した 工女宿宝来屋を見ておきたかったのです。
松本市歴史の里にはこの他、旧昭和興業製糸場、旧松本少年刑務所独居舎房、旧松本区裁判所庁舎、木下尚江生家、が、移築されています。
入るとすぐ、旧松本区裁判所の立派な建物が見えます。ドラマの撮影にも使われたそうで、何か威厳のあるたたずまいです。
宝来屋に行ってみました。江戸時代後期、川浦に旅人宿として建てられたとあります。宿が出来るくらいだから当時の野麦街道は人通りの多い道路だったのだろう。 入口の土間に立って見ると、中は広い板の間で囲炉裏が二つある。ここに大勢泊まったのだろう。互い違いに重なり合うように眠る、その様子を描いた絵が展示されていた。 冬の夜は寒かっただろうな。想像がつく。
宿の食事のメニューがあった。「そば粉のやきもち」「あわ入りの雑穀飯」「そばがき」等である。これでも普段の家の食事より少し良かったのだろう・・と思う。 翌朝暗いうちに、宿の人が一晩中かけて握ってくれた握り飯をもらって、次の宿に向けてたっていったのだろう。
そうやって何日か歩いて、松本や諏訪、そして岡谷の製糸工場へきたのだろう。
前回トレースした越中八尾からの東街道を歩いた工女さん達は、こうした旅を10日以上も続けて岡谷まできてくれたんだな。そうして何カ月か必死に働き、年末にはもらった賃金を持ってまた同じ道を歩いて家に帰っていったのだろう。
歴史の教科書にも歴史年表にも残らないこうした多くの無名の工女さん達が、明治・大正という時代を担ってきたのも事実である。 日本の輸出総額の40%から多い時は50%近くも生糸が占めていたのだから・・・。
宝来屋を出ると、近くに旧昭和興業製糸場の建物がありました。 下諏訪にあった製糸工場で平成7年まで操業していたそうです。比較的新しい工場ではあるが、陶器製の繰糸鍋や煮た繭を入れる木の桶などを見る事が出来ました。ここも映画の撮影に使われたという事です。
前回の東街道トレース、今回の工女宿、製糸工場、に触れて、工女さん達を少しだけ身近に感じる事が出来ました。 K・M記