砺波郷土資料館と東街道

2018年10月13日、再び富山県の砺波郷土資料館を訪ねました。今回はカミさんと一緒です。
資料館に入ると、前回と同じ主幹のSさんが出てきてくれました。
「Sさんですね?」「はい、そうですが??」
「長野県の旧林家住宅の説明員のK・Mです。」「??」
「9月に一度来ているのですが・・」「??」
9月の初めころ・・・釣りに来たついでに・・・汗臭い・・・オヤジが・・・二人で・・・
ああ!ああ! 思い出しました・・
うーん。どこに反応したのだろう?
前回はお話だけで持ち合わせていなかった名刺を差し出して、改めてご挨拶する。
Sさん「前回はお友達と一緒で、今回は奥様とご一緒なんですね。ありがとうございます!」
今回も同じように案内していただく。いや、前回よりも詳しく説明してくださった。それよりも、なんと、私を別の学芸員のWさんや館長さんにまで紹介してくださった。Wさんはこちらの館で金唐革紙展をされた時に旧林家住宅にも調査の為来訪された方で、金唐紙友の会にも参加されており、作品も展示されていました。
郷土の文化紹介コーナーには獅子頭が展示されていました。
昼食はSさんに教えてもらった 「農家レストラン大門(おおかど)」で頂いた。食事は美味しかった。豪農の家だった・・という、建物がまた素晴らしい!みなさん、おすすめです!
さて、今回はもう一つテーマを持って来ました。
その昔、越中八尾から岡谷まで工女さん達が歩いた道をトレースする・・・というものです。なんと、飛騨より遠くの越中八尾から工女さん達が歩いて来た・・と知って驚きです。資料によるといくつかのルートがあったようですが、そのうちの一つ「東街道」をたどってみたかったのです。もちろん歩いていくわけではありません。車で出来るだけ当時の道に近くなるようになぞってみる・・というだけですが、工女さん達が見たであろう景色を自分も見て当時に思いを致す事が出来れば・・。というものです。
八尾から東街道
八尾・・笹津・・茂住(これより飛騨)・・船津・・神原峠・・古川・・高山・・美女峠・・
甲(朝日村)・・上ケ洞(高根村)・・寺坂峠・・野麦・・野麦峠・・
川浦(これより信州)・・稲核・・島々・・波多・・今井・・大門・・塩尻峠・・岡谷
資料によると、200数キロを10日程かけて歩いたそうです。
私達は午後2時半頃八尾を出発した。地名に峠と名の付く峠だけでも5つある。美女峠と寺坂峠は車で越える事は出来なかったが、行ける所まで行き出来るだけ近くを通った。
甲から野麦峠へ向かう頃には、隣で距離と時間を記録しているカミさんが「こんな道を行くの?」と不安げに言った。野麦峠へ着いた頃には暗くなっていた。だれもいないお助け小屋を車のライトで照らして見た。峠の両側には部分的ではあるが旧道が保存されている。いつか歩いてみたい。
信州側へ下り川浦へ着く。工女宿「宝来屋」のあった・・跡地・・を見る。建物は「松本市歴史の里」に移築されているそうだ。これもまたいつか・・・。
さらに下る。鉄道が開通してからはまっすぐ松本まで行きそれに乗る・・方法もあったようだが、今回は波多から右に折れて「歩いた道」をたどる。塩尻峠から見る岡谷の夜景は明るく素晴らしかった。
1年の仕事を終わり夜道を塩尻へ向かう工女さん達が、振り返ってお辞儀をしたという当時の夜景はどうだったのだろう?
旧林家住宅へ着いたのは8時半を過ぎていた。疲れた。車のトリップメーターは213kmだった。
「当時は歩くしかなかった・・」「今は交通手段が発達しているから・・」とはいえ、私にはこのルートを「歩いて移動する」という発想すら湧かない!
どんな理由があったのだろう?どれだけのモチベーションがあったのだろう?今回は舗装された車道を車で走っただけだけれど、車の助手席のカミさんが不安になるほどの山また山の道である。当時は「登山道」のようなものだったはずだ。10代半ばから20歳そこそこの娘達がどんな思いでこの道を歩いたのだろう?「大変だね」とか「すごいね」などと安易な感想を許さない程の何かがある。
やってみて良かった・・・。      K・M記