古川祭

2019年4月19日、前回(2月)の来訪で確認出来なかった祭屋台・龍笛台の彫刻を見る為に古川祭へ出かけました。

古川祭は気多若宮神社の例祭で、起源は江戸時代にさかのぼるそうです。国指定重要無形民俗文化財になっていて、飛騨の匠の技術の粋を集めた「動く陽明門」とも言われる9台の屋台が見ものです。そのうちの1台・龍笛台に「旧林家住宅の欄間を彫った清水虎吉(好古斎)の作品があったが、今は違う人のものになっている」という事がこれまでの資料による調査からわかってきたので、それを確認したかったのです。

気田若宮神社には9時半前に着いた。神官や裃などの装束を付けた人々が拝殿に入ってゆく。神事の始まりを見てから町へと下る。途中、飛騨市教育委員会・飛騨市歴史文化調査室の調査員で古川祭史研究担当のNさんが声を掛けて下さった。来訪の目的を告げると、高山市在住のラジオ番組のパーソナリティーにして郷土史家である長瀬公昭さんも呼んでくれるという。

何と言う僥倖!

お二人の専門家の説明を受けながら古川祭を見る事となった。

Nさんが時々どこかに電話をしながら「○○組の屋台が今出ている様ですよ」と、その町まで案内して下さる。青龍台、麒麟台、2台のからくりの実演も時間に合わせて見せて頂いた。

目的の龍笛台を間近に見る事が出来た。立派な彫刻が付いている。立派なものだが、いつも見ている旧林家住宅のものとは感じが違う。私の目でもそれはわかる。いわゆる「手が違う」というのか。

これまでの資料による調査や2月の古川来訪時の調査から、作者は下の部分が村上鉄堂、上の昇り龍、下り龍等が市川玉香と分かっている。近くから良く見ていると下の部分に「鉄堂」という刻銘を確認する事が出来た。

二人の案内で龍笛台の屋台蔵も入口近くまで行って見る事が出来た。棟札は見えなかったが立派な土蔵造りの屋台蔵である。他にもすべての屋台とほとんどの屋台蔵を見せて頂いた。Nさん行きつけのお店では獅子舞の門付けも体験出来た。

古川来訪の主目的であった「竜笛台の彫刻が清水虎吉だったはずが、今は他の人のものになっている事実」を確認できた。「何故なのか?」と専門家のお二人に尋ねてみた。長瀬さんが「私見であるが・」と前置きして、「初期の彫刻を町の誰か(有力者?)が鑑賞のため家に置いていたのではないか?」「明治37年の大火でそれが焼けてしまったのではないか?」「その後、私財を投じて今の作者に制作を依頼したのではないか?」とおっしゃった。

おそらくそういう事なのだろう。屋台蔵は土蔵造りである。大火にも耐え棟札が残っているのも説明がつく。さすが、地元の郷土史家である。

旧林家住宅の欄間の作者・清水虎吉(好古斎)の足跡を追ってあちこちの作品を見て回り古川にも何度か通う事となったが、ようやく一つの疑問が解けました。

今回の旅は奇跡的に専門家のお二人に出会い、祭りを案内して頂きました。お二人のお陰で望外の収穫を得る事ができました。

改めて心より御礼申し上げます。

お二人と別れて夕暮れの近づく街を歩いていると、夜の部の「起こし太鼓」にはまだ早いが、腹巻姿の裸男達が付け太鼓を打ち鳴らし棒登りの技を披露し始めていた。     K・M記