飛騨古川行き
2019年2月3日 飛騨市美術館で行われていた企画展「飛騨の糸引きと三寺まいり」を見に飛騨市古川へ行きました。
いつもとは違う道で古川の町に入ろうとしたら、雪の田んぼでキツネが出迎えてくれました。
会場の美術館に着くと飛騨市の「観光大使」にして「語り部」の鮎飛さんが迎えてくれました。鮎飛さん手作りの旗などが雰囲気を盛り上げています。
展示物の多くは岡谷蚕糸博物館提供のもので、岡谷市民新聞の切り抜きなどもありました。
今回の企画はこの年の暮れに行われる「愛しの糸引き工女展」のプレ展覧会の位置付けらしいので、生資料が多いのも仕方がないでしょう。
いくつかの発見もありました。例えば展覧会のタイトルにもある「三寺まいり」。
帰郷した工女さん達の多くが1月15日、古川にある本光寺、円光寺、真宗寺、を着飾ってお参りするもので、男女の出会いの場にもなっていたというものです。
良かった。ちゃんと「人の暮らし」があったのだ。映画の影響からか、工女さん達の過酷な労働や悲惨な生活の印象ばかりが強いが、ちゃんと人間としての営みがあり、生きがいを持って暮らしていたのだな・・と思うと、ちょっとほっとした気持ちになる。
鮎飛さんから伺った祖母の「つやばあさん」の話だ。元工女さんの「つやばあさん」が初めて映画を見た時、立ち上がって「うそだ!おらの工場はあんなじゃなかった!」と叫び、周りの者がしずめるのに手を焼いた・・という事です。
三寺まいりを唄った祝い唄がある。 ♪嫁を見立ての三寺詣り 髪を結わせて礼参り・・・♪ (民謡:ぜんぜのこ)
展示資料に、映画の主人公になった「政井みね」さんのお墓の写真があった。車で30分程の角川にある。
雪はどうでしょうか?と、鮎飛さんや館長さんに聞くと「道は大丈夫です。お寺は住職に声をかければ多分大丈夫でしょう」と聞いたので、後で行く事にして美術館を出た。
今回は、もう一つ調査目的があり、飛騨古川まつり会館へ向かった。
旧林家住宅の欄間を彫った立川流の彫刻師・清水好古斎の作品が古川の祭り屋台にあったが、今は違う人の物になっている・・。という事がこれまでの資料調査からわかっていたので、その事について知りたかったのです。
会館ではまずハイビジョン4Kによる祭りの映像を観た。館内には、古川に9台ある祭り屋台のうち3台を常時展示してあるとの事だったが、清水好古斎に関わる屋台・・龍笛台は今は展示されていなかった。
説明員の方にお話を伺った。作者は清水虎吉(好古斎)ではなくて、村上鉄堂と市山玉香である。替わった経緯については分からない。詳しくは教育委員会に尋ねて欲しい・・。という事だった。
説明用のマニュアルまで見せて下さったが、確かに作者の清水虎吉(好古斎)を線で消して、村上鉄堂と市川玉香に訂正されている。これ以上は分からなかった。
外に出た。夏には賑わう瀬戸川沿いの小路は雪がつもり人影は少なかった。
古川を離れ、角川へ向かった。道路には雪はほとんどなかったが、周りには積もった雪がある。
専勝寺に着いたら雪がたくさんあり、本堂の屋根から落ちた雪が山のようになっていた。お大黒(坊守)にお話を聞いた。「お墓は本堂のすぐ裏にありますが、この雪ですから無理でしょう」という事でした。
お墓参りはまたいつか・・・。
政井みねさんの家はあそこでした。と、教えて頂いた場所は建設会社の施設になっていた。
ここから野麦峠を見る事は出来ないが、峠のある方向・・東側にある雪のかぶった山々を眺めて見た。
工女さん達の中には田植えが終わってから出発した人もいたのでしょうが、雪の山を越えて行った人も多くいたはずだ。
明治の「富国強兵」を、そして日本の近代化を支えた人々に想いをはせた。 K・M記