旧岩崎邸庭園

2018年9月26日、東京の旧岩崎邸庭園に行きました。
都会は交通機関が発達しているので、今回は久しぶりにカミさんと電車で出掛けました。
上野駅から上野公園、不忍池を横切り岩崎邸の裏にある無縁坂へ・・。もうこの時点でさだまさしの唄が頭の中でぐるぐる。 忍ぶ不忍無縁坂・・。
坂を登って少し行くと東京大学の裏門(鉄門)があった。裏口から入って裏口から出てみた。賢くなったような気分にはならなかった。大学の正門(赤門)を見てから左回りに回って岩崎邸へ向かった。途中にある寺院の春日局の墓をお参りした。石塔に丸い穴が開いていた。地の底から見られているようで怖かった。
岩崎邸では庭園の案内をしてくれるガイドさんが人を集め、まさに出発するところでした。少し聞いたがすぐ離脱して建物に入った。明治29年完成の明治期を代表する洋館である。中ではおりしも金唐紙展を開催中でした。上田先生の指導するグループが作成したものだろう。たくさんの作品が展示されていた。旧林家では「小鳥手文」と呼んでいる小鳥をデザインした作品もあった。同じ版木を使用したものだが、こちらでは、「鳥とアイリス」と紹介されていた。明治期の重要な建築物の多くに金唐革紙が使用されていたことがわかった。岩崎邸と言えば明治期の代表的な洋風建築であるが、純和風建築も併設されている。戦後、進駐軍に建物を接収された時、家族は和風建築の部分に住まわれていたそうである。この時に洋館の金唐革紙はペンキで塗られてしまったという事です。
文中「金唐革紙」と「金唐紙」という単語が混在していますが、西洋発祥の「金唐革」に模して作られたものが「金唐革紙」。現代に、紙の造形として制作された作品が「金唐紙」と使い分けられているようです。
午後は湯島天神を通り抜けて南へ歩く。神田明神があった。銭形平次の家は見つからなかった。
さらに歩く。付近にはいくつも大学がある。やがて近代教育発祥の地・湯島聖堂に着いた。またしてもさだまさしの唄が響く。湯島聖堂の白い石の階段に腰かけてみる。聖橋から快速電車の赤い色や、各駅停車の檸檬色の行き来を眺めた。食べかけの檸檬は投げなかった。スクランブル交差点を斜めに渡った。そして少し歩くとニコライ堂に着いた。
ここも岩崎邸と並んで明治期の代表的な洋風建築である。どちらもジョサイア・コンドルが設計に関与している。現役の教会なので、ローソク代というお布施を払って中を見せてもらった。荘厳な雰囲気である。
そこをを出るとさらに下って、神保町の古本屋街に着いた。何年ぶりだろう。久しぶりの感動もあって一往復した。本を3冊買った。本屋に併設されたカフェで一休みして、秋葉原駅まで歩いた。そこから檸檬色に乗って聖橋を下から眺めた。   K・M記