中山社址を見に行って来ました。の2
説明員のK・Mです。2017年12月4日、中山社址を見に行ってきました。の続きです。
中山社は明治8年、近くにいた三代目武居代次郎を中心とする9人が始めた器械式製糸業の工場です。明治5年、あの、官営富岡製糸場が出来て間もない頃です。中山社の特徴はフランス式やイタリア式の高価な機械をそのまま使うのではなく、木製の機械を使用したことです。初期の頃には、富岡で学んだ、伝習工女を教婦に招く等、努力、試行錯誤を続け、その後の岡谷/諏訪地域の製糸業発展の礎となりました。そして組織の変遷を経て、明治30年に解散しました。現地に立って見ると、記録に残る二段の地形と、当時水車を回したであろう沢と、それに架かる地名を冠した小さな橋があるのみで、遺構等は何もありません。うーん、芭蕉の気分!つわものどもが夢のあと・・・・・か! 前回ご報告の通り石碑が二つありました。石柱には、「信州式木製繰糸器械発祥之地」平成二年九月吉日、長野県製糸協同組合建立。板碑の方には、「器械製糸工場中山社跡」平成七年七月吉日、岡谷市間下区。と、ありました。