蘇武の故事

いつだったか、お客様に教えて頂いた事です。
旧林家住宅には立川流・清水虎吉(好古斎)の立派な彫刻が欄間や仏壇装飾にあります。その一つ、母屋上座敷の書院の欄間に「羊、ぼろをまとった人物、空を飛ぶ雁、波、」を表した作品があります。私はそれまで不勉強でよく知らなかったので、「羊飼いもしくは仙人のいる、何かの故事ではないか?」とご説明していました。そしてそのあとに、「もし何かご存知でしたら教えてください」とも付け加えていました。
あるとき、まだお若い女性のお客様が即座に「そぶのこじじゃないですか?」言われたので、「え?そぶのこじ?」とノートに書きつけました。そのお客様は中国の「古典」だったか「古代史」だったかを研究されている・・との事でした。帰ってから資料を調べました。ありました。ありました。欄間に彫られた内容にぴったりのものがありました。
蘇武の故事
古代中国、武帝の時代、(前100年)、漢の将軍-蘇武が北の匈奴へ捕虜交換の為に赴くが匈奴に捕まってしまう。部下たちは匈奴に降ってしまうが、蘇武だけは降らなかった。穴倉に閉じ込められてもなかなか死なないので、北海(バイカル湖)のほとりで牡の羊を飼わされて「牡羊が子を産んだら国へ帰してやろう・・」などと言われても匈奴には降らず、荒れ果てた大地で苦難の毎日を過ごした。
やがて19年後、漢の使者が匈奴に「蘇武を返してほしい!」と迫ったが、匈奴は「蘇武はもうこの世にはいない」と答えた。
そこで漢の使者は「漢の天子が狩りで射止めた雁の足に帛(はく-絹の布)が付けられており、そこには『蘇武は大沢(だいたく)の中にある』と書いてあった。だから蘇武は生きている!」と作り話をした。匈奴も認めざるを得なくなり、蘇武は国へ帰ることが出来た。  というお話。
その故事から、手紙や音信の事を「雁書」「雁信」「雁の使い」等と言い慣わす。(らしいです)
それから1000年以上後の平家物語にはこの故事を日本風にアレンジしたお話が載っているそうです。(読んでないけど・・)
ということで、改めて書院の欄間を見てみると・・・「羊、ぼろをまとった人物、空を飛ぶ雁、波」すべて当てはまります。羊にはみな角があります。そして人物が持っているもの・・・一部欠損していて(短い棒)を持っているのかと思っていましたが、良く見ると元は長い棒のようです。そしてなんとヤクの毛の房とおぼしき物がいくつも背中側にあるではありませんか。これは「節旄」(せつぼう)に違いありません。節旄とは天子が使命と共に将軍に与えるヤクの毛の房の付いた竿の事です。羊飼いや仙人の持てるものではありません。欄間のモチーフは蘇武の故事に間違いありません。
教えて下さったお客様のおかげで欄間のモチーフが分かりました。
それからのガイドでは「これは蘇武の故事です!」と、さも昔から知っていたかのようにご説明しています。
あの時のお客様・・本当にありがとうございました。