赤羽焼き

2019年11月19日、辰野町荒神山公園にある、復元された赤羽焼きの窯を見てきました。
中央自動車道の工事で取り壊される事になった窯を、関係者がこの公園に復元、移築したのだそうです。元は11段あった登り窯を5段だけ復元してあります。公園内にある辰野美術館には赤羽焼きのコーナーがありました。
赤羽焼きは江戸時代末期に赤羽村で起こり、最初は食器等の日用雑器を作っていましたが、明治時代から大正時代に製糸業と共に発展しました。糸をとる「繰糸機」の部品「繰糸鍋」を陶器で作り、形や大きさ等を工夫して製糸業の発展に大きく寄与しました。そして製糸業の衰退とともにこちらも衰退していきました。戦後は食器等を細々と制作したりしましたが、やがて消滅しました。
一つの産業の盛衰はそういう事なんでしょうね。製糸業というと、繭や糸だけに目がいきがちですが、繰糸機を造るだけでも、木工、鉄工、陶磁器等が必要です。燃料の薪炭や石炭、動力の水車、蒸気機関、電気。原料や製品を運ぶ運送業。情報の通信設備。そして何よりも多くの人が集まるのですから、交通機関、食料品、衣料品、日用品、医療施設、等々。まだまだ多くのものが必要だったでしょう。明治政府の推し進めた「殖産興業」はそういったものを短期間で成長させないと、西洋列強に太刀打ちできないという悲壮な気持ちが込められていたように思います。
実業家・林国蔵もまた同じ思いで多くの事業に取り組んだのだと思います。      K・M記